鳥霊信仰
海や山など自然に親しむ機会が増える季節となりました。
日本には多くの野鳥が生息しています。雀や鵯、鴎といった身近な野鳥から、梟、白鳥など、水辺から山の野鳥まで六百種類を超えると言われています。
古代の日本人にとって、野鳥は信仰の対象でもありました。空を飛ぶ鳥を畏敬し、神の使いと捉え、死者の霊魂を運ぶと考えられていました。さらには、死者の霊魂は鳥となって大空を自由に飛翔すると信じられていました。
『古事記』には、ヤマトタケルが亡き後、白鳥となって飛び立ったという逸話があります。また、『日本書紀』には仁徳天皇が誕生する際に産屋に木菟が飛び込む話があります。これは木菟が魂を運んできたことを表わしているとされています。
古代の人々は、目に見えるものだけが実在するのではなく、見えないものに本質があると考えていたようです。目に見える現象にとらわれることなく、現われてこない本質をも見抜く力を持ちたいものです。
鳥のように広く羽ばたき、広い視野で物事を見つめましょう。
今日の心がけ◆見えないものを大切にしましょう
出典:職場の教養7月号
感想
鳥霊信仰というテーマを通して、自然や死生観、そして人間の感受性の深さに触れられるのは、非常に豊かな経験です。
日本古来の文化において、鳥がただの動物ではなく、神聖な存在や霊魂の象徴として捉えられていたことは、人間と自然との関係のあり方を考え直すきっかけを与えてくれます。
とりわけ『古事記』や『日本書紀』に見られる神話的表現は、合理主義的な現代において忘れられがちな「見えないもの」への敬意を呼び起こしてくれます。
「死者の霊魂が鳥になって空を飛ぶ」という考えは、喪失に対する慰めであると同時に、生と死の連続性を示しているようにも思います。
自然の中に魂の居場所を見出そうとするその感性は、現代のスピリチュアリティにもつながっており、決して過去の遺物ではありません。
今日の心がけで示された「見えないものを大切にする」姿勢は、忙しい日常の中でも立ち止まって心を澄ますことの大切さを教えてくれます。
鳥のように空から俯瞰する視点を持つことで、自分自身の思考や価値観の偏りにも気づけるようになるかもしれません。
否定的な感想
鳥霊信仰のような伝統的な信仰や物語が現代にそのまま響くかというと、必ずしもそうではないとも感じました。
自然との深いつながりを持っていた時代ならではの感性は、都市化が進み、日常生活から自然が遠ざかっている現代においては、実感を持って理解するのが難しい部分があります。
鳥が神の使いである、あるいは死者の魂であるという感覚は、美しくはあっても、日々の実際的な生活の中では象徴性を失いかねません。
また、「見えないものの本質を見抜く力を持つべきだ」という理想は響く一方で、それが抽象的すぎて現実的な行動に結びつきにくいとも思います。
見えないものを信じるという姿勢は、時に思い込みや非合理な判断につながることもあり、そのバランスには慎重さが必要です。
信仰や精神性は大切ですが、それが現代の思考様式と乖離してしまうと、逆に心の迷いを生む要因ともなり得るでしょう。