一言がくれた安心
新居に引っ越して数年が経ったTさんは、近所の人が苦手でした。
引っ越し当初、家の前を通る人に何度か挨拶をしたものの、ほとんど返してもらえません。多くの人がチラッと一瞥するだけで通り過ぎていったのです。
〈何か悪いことでもしたのでは〉という思いが高じて、近隣の人のみならず、引っ越し先の地域全体に対しても苦手意識を持つようになってしまいました。
外出時も、なるべく人と会わないようにしていたのですが、ある日の出勤時、花壇の手入れをしていた近所の女性とばったり出くわしてしまいました。
一瞬、〈また嫌な思いをする〉と身構えたのですが、思い切って「おはようございます」と声をかけると、「お疲れ様、いってらっしゃい」と返されたのです。
あたたかな見送りの言葉をかけられたTさん。その日の通勤の足取りが軽くなり、職場でも穏やかな気持ちで仕事ができたといいます。
Tさんは、自分の勝手な思い込みによって地域の人にマイナスの感情を抱いていたことを深く反省したのでした。
今日の心がけ◆思い込みを改めましょう
出典：職場の教養11月号
感想
この話には、人間関係の機微とその繊細さがリアルに描かれていて、心が静かに揺さぶられました。
Tさんのように、周囲の無反応や小さなすれ違いから、自分が否定されているように感じてしまうことは、誰にでも起こり得ることだと思います。
ましてや引っ越しという環境の変化の中では、些細な挨拶のやり取りが、その土地への印象を大きく左右してしまうものです。
それだけに、「お疲れ様、いってらっしゃい」の一言が、どれほどTさんの心を救ったかがよく分かります。
挨拶とは、単なる言葉のやりとりではなく、「ここにいていいんだ」と思える安心の証でもあるのだと、改めて気づかされました。
何気ない一言が、人の心をほどき、新たな視界を開いてくれる。その力の大きさをこの話は静かに教えてくれます。
「今日の心がけ」にある「思い込みを改めましょう」は、単に自分を正すための言葉ではなく、人との関係性をより柔らかくするためのヒントとして響きます。
人と人のあいだには、ほんのわずかな歩み寄りの一歩が、予想もしない豊かさをもたらしてくれることを実感させられました。
否定的な感想
この話にある「思い込みを改めること」がそんなに簡単にできるのか、と疑問も残ります。
Tさんが抱いていた不安や孤立感は、地域との実際の関係性が乏しいことに起因しており、根本的にはコミュニケーションの不足があったわけです。
そこに対してたった一言の挨拶で心が和らいだという展開は、あまりにも都合よくまとまりすぎていて、現実の複雑さを少し軽視しているようにも感じられます。
また、Tさんが感じていた疎外感が「自分の思い込みだった」と締めくくられることで、問題の責任が一方的に本人に押し戻されているようにも読めます。
もしかすると、周囲の人たちが最初から少しでも開かれた態度を取っていれば、Tさんがここまで思い悩むこともなかったのではないか。
その視点がまったく語られていないことに、少し違和感があります。
人との距離感や挨拶の文化は地域によって異なりますし、内向的な人にとっては、関係を築くための一歩を踏み出すこと自体が大きな挑戦です。
そんな中で、Tさんだけに「反省」を促すようなトーンは、少し酷なのではないかとも感じました。
もっと双方向の視点があれば、この物語により深みが生まれたのではないかと思います。
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