千差万別
「蓼食う虫も好き好き」という諺があります。
多くの虫にとって苦手とされる、独特の辛味を持つ蓼という植物がありますが、その蓼を好んで食べる虫も存在します。この諺は虫ですら食べ物の好みがあるように、人の好き嫌いも千差万別であるという意味で使われます。
諺自体を聞いたことがあり、意味も知っているという人は多いでしょう。しかし、実際に蓼という植物を見たことがある人はどれだけいるでしょうか。
蓼とは、タデ科植物のヤナギタデ類のことを指します。誰もがイメージできお刺身のつまによく出る、赤紫の小さい双葉になっている植物です。
そして、「蓼食う虫」とされるのは、ハムシと呼ばれる体長四ミリ程度の甲虫です。幼虫時だけでなく成虫になってもヤナギタデを食べ続けるそうです。
もし、誰もが同じものを好んだら、枯渇して供給が追い付かなくなるでしょう。多種多様な人がいることで社会は回っています。ビジネスもチャンスは様々なところにあります。訪れた好機を逃さないようにしたいものです。
今日の心がけ◆様々なところに着目しましょう
出典:職場の教養10月号
感想
この話を通して、「蓼食う虫も好き好き」という諺が、単なる言葉遊びではなく、実際の生態と結びついていることに驚きと新鮮さを覚えました。
とくに、ヤナギタデという具体的な植物と、それを好んで食べるハムシという昆虫の存在を知ることで、ことわざが一気に「実感のある知恵」へと変わる感覚がありました。
抽象的だった概念に、具体的な形と名前が与えられたことで、「好き嫌いの多様性」が単なる道徳的寛容を促す言葉ではなく、自然界に根ざした事実として迫ってくるのです。
また、最後に述べられていた「もし皆が同じものを好んだら資源は足りない」という視点は、今の時代にとても重要な洞察です。
個人の好みや価値観が異なることは、競争や軋轢の原因にもなり得ますが、同時にそれが共存と分業、そして持続可能性の鍵でもある。
多様性を「寛容する」から一歩進んで、「むしろ必要なもの」として捉える視点は、ビジネスや人間関係、教育、どの場にも生かされる考えだと思います。
否定的な感想
「蓼食う虫も好き好き」をあえて植物学的・生物学的に深掘りするアプローチは、やや説明過多な印象も受けました。
ことわざというものは、もともと簡潔な言葉の中に知恵や風刺、感覚的な理解を含ませるためのものであり、必ずしもその背景にある現象を厳密に理解することが本質ではないようにも思います。
その意味で、ハムシの生態やヤナギタデの形状など、細かく説明されることで、かえって諺が持つ詩的な面白さや想像の余白が失われてしまっているとも感じました。
また、「多様性は社会を回す原動力」といった結論には異論はありませんが、その一方で、多様性をうまく受け入れるには高度な寛容性と社会的仕組みが必要です。
多様性を「善」として語るだけでは、現実にある不理解や摩擦を見過ごしてしまう危険性もあるのではないでしょうか。
むしろ、好みの違いが対立を生む場合にどう折り合いをつけるかという「プロセス」こそが、本当の課題なのかもしれません。
多様であることの価値を認めると同時に、それをどう活かし、どう調和させるか——そこにこそ現代に求められる知恵があると感じました。
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