2025年9月21日(日) 足尾の植樹

足尾の植樹

かつて国内一の銅の産出量を誇った栃木県の足尾銅山では、精錬所から出た排煙や鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に深刻な影響を与えました。煙害や酸性雨により山々は荒廃し、災害の要因ともなりました。

昭和三十一年から国による本格的な足尾の緑化事業が進められ、市民団体やボランティアによって、その活動は広がりを見せています。しかし、手付かずの場所も多く、山を本来の姿に戻すには長い年月を要します。

毎年、植樹に参加しているM氏は「日本にこのような場所があることを知ってもらいたい。そして植樹に参加し、自然環境に目を向けてほしい」と訴えます。

私たちの生活は、多くの自然の恩恵を受けて成り立っています。そのことに意識を向けることで、水や資源を大切に扱うことができるでしょう。

環境に悪影響を及ぼす行動や消費を慎むだけでなく、一人ひとりが感謝や畏敬の念を持つことが肝要です。自然や物、多くの人々に支えられていることに目を向けていきたいものです。

今日の心がけ◆自然環境に目を向けましょう

出典:職場の教養9月号

感想

この話は、環境破壊の過去と、それを修復しようとする人々の継続的な努力を丁寧に描いており、非常に心を打たれました。

足尾銅山のような場所が日本に存在し、今なお完全な回復には至っていないという現実は、我々が忘れがちな「負の遺産」を突きつけてきます。

そして、その再生に向けた地道な植樹活動に参加している人々の存在は、希望の象徴として強く胸に響きました。

特に印象的だったのは、M氏の「知ってもらいたい」という言葉です。

問題に気づき、声をあげ、行動することが、いかに大きな意味を持つかを改めて実感します。

自然環境は遠い話ではなく、私たちの暮らしの根幹を支えるものであり、そこに敬意や感謝を向けることは、人間としての本質的な在り方なのだと感じました。

「今日の心がけ」にあるように、自然環境に目を向けることは、ただの意識改革ではなく、私たち一人ひとりの生活態度を根本から見直す入り口になるでしょう。

足尾の例は、過ちを正すという倫理的な視点と、未来への責任を同時に教えてくれる貴重な物語です。

否定的な感想

この話にはやや「理想主義的」なトーンが強すぎるきらいもあります。

自然環境への敬意や感謝は確かに大切ですが、それを強調するあまり、足尾鉱毒事件が引き起こした社会的・政治的責任への言及がほとんどないことに違和感を覚えました。

足尾銅山の問題は単なる環境破壊ではなく、国家と企業の利益優先の構造、被害住民の長年にわたる苦悩と闘争、そして公害という重たい歴史が複雑に絡み合っています。

それらにきちんと向き合わず、「感謝」や「畏敬の念」といった抽象的な徳目だけに焦点を当てるのは、やや現実逃避的とも言えるのではないでしょうか。

また、植樹活動への参加を促す一方で、それがボランティア頼りでしか成り立っていない現状には、制度的支援の不在という構造的な問題が潜んでいます。

自然への意識を高めることは重要ですが、それは同時に政治や経済のあり方も問い直すこととセットで語られるべきでしょう。

そうでなければ、問題の本質は見えづらくなり、「いい話」で終わってしまいかねません。

感想がいまいちピンとこない方は…

「なんかしっくりこないんだよなぁ」「でもなかなか思いつかない…」そんな時は、感想文ジェネレーターをお試しください。

あなたのお好みのテイスト・文字数で職場の教養の感想文を生成できます!