陰の立役者
A氏が家族と初夏に北海道の富良野を訪れたときのことです。
広大な土地に、色とりどりの花々が咲き誇る景観を前に、国内外から訪れた観光客は笑みを浮かべ、思い思いに写真を撮っていました。その中には、良い写真を残したいあまり、立ち入り禁止のロープを越える人の姿も見られました。
A氏は、明治時代に国の政策で全国から移住し、原野を切り拓いた先人の苦労、そしてこの景観を維持するために関係者が払っている努力を思うと、いたたまれませんでした。
人は誰しも、華やかな表面に目を奪われるものです。その美しさの裏には、多くの人々の知恵と汗、そして長年にわたる努力の積み重ねがあります。
楽しい環境に身を置くとき、つい自分の楽しみを優先しがちです。しかし、その場は多くの人の努力や配慮によって成り立っていることを忘れてはいけません。
だからこそ、時には今ある環境を築いた陰の立役者(中心的人物))や先人の働きに思いを馳せ、敬意を表し、大切にする心を育んでいきたいものです。
今日の心がけ◆先人の努力に敬意を払いましょう
出典:職場の教養2月号
感想
富良野の鮮やかな花畑を前に、A氏が抱いた「いたたまれなさ」は、単なるマナー違反への憤りを超えた、歴史への深い敬意から来るものだと思いました。
私たちは目の前の完成された美しさを当たり前のものとして享受しがちですが、その土壌には、明治の開拓期から続く血の滲むような苦闘が眠っています。
原生林を切り拓き、厳しい自然と対峙してきた先人たちの執念が、現在の観光資源という形に昇華されている事実に気づくとき、一歩踏み出すその地面の重みが変わるはずです。
A氏の視点は、消費的な観光客の視点とは対極にあります。
美しさを「消費」するのではなく、その背景にある「時間」や「祈り」を感じ取ろうとする姿勢は、現代社会において非常に稀有で尊いものです。
ロープを越えてしまう人々は、自分の感動を切り取ることに必死で、自分が立っている場所が誰かの守り続けてきた聖域であることに無自覚です。
しかし、真の「楽しさ」とは、その場への敬意があってこそ、より深い精神的な充足感をもたらすのではないでしょうか。
「今日の心がけ」にあるように、先人の努力に敬意を払うことは、私たちが今享受している自由や豊かさの根源を肯定することに繋がります。
華やかな舞台の裏側で、黙々と草を毟り、土を耕し、伝統を繋いできた人々がいる。
その想像力を働かせることが、自分勝手な振る舞いを律する唯一のブレーキとなり、文化や景観を未来へ繋ぐ唯一の架け橋になるのだと強く実感させられます。
否定的な感想
この物語が提示する道徳観には、ある種の「窮屈さ」や「個人の感性の抑圧」という側面も潜んでいるように感じます。
A氏の抱く歴史観や敬意は立派なものですが、観光地に赴く多くの人々が求めているのは、日常から解放された純粋な高揚感です。
先人の苦労や開拓の歴史を常に意識しなければならないという義務感は、せっかくの家族旅行やリフレッシュの場を、教育的な修練の場へと変質させてしまう危うさがあります。
立ち入り禁止のロープを越える行為は言語道断であり、ルールとして守られるべきですが、それを「先人の苦労を知らないからだ」という高潔な倫理観に結びつけすぎると、他者に対する過度な不寛容を生む可能性があります。
人は美しいものを見た際、本能的に近くに寄り添いたいという欲求を抱くものです。
その無邪気な感動を、重厚な歴史の重みで塗りつぶし、「いたたまれない」と断罪してしまうA氏の視点には、一種の選民意識や、自らの正しさを背景にした冷ややかな選別が感じられなくもありません。
また、「陰の立役者」に思いを馳せるべきだという教訓は、ともすれば現状維持を美徳とし、変化を拒む保守的な精神へと傾倒しかねません。
過去の苦労を美談として消費しすぎることは、現代に生きる私たちが新しい価値観で土地や環境を再定義する自由を奪うことにもなり得ます。
敬意は大切ですが、それが過去への盲目的な崇拝や、他者への道徳的な監視の目となってしまえば、富良野の風通しの良い開放感さえも失われてしまうのではないでしょうか。
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