2024年8月25日(日) 鉄砲伝来

天分十二(一五四三)年の本日、種子島に中国船が漂着しました。その船に乗り合わせていたポルトガル人が持っていたのが、火縄銃でした。

領主の種子島時堯は射撃の実演を命じ、その威力に驚嘆して二丁の火縄銃を購入します。そして刀鍛冶の八板金兵衛に複製を命じたのです。生まれて初めて見る火縄銃を分解、研究した金兵衛は、見事複製に成功します。

その後、境商人の橘屋又三郎が種子島を訪れ、火縄銃の製法を学び、製造販売にこぎ着けるのです。そのため境は日本有数の鉄砲産地となりました。

それ以来、数多くの戦国大名が境を訪れて火縄銃を購入し、全国に広がっていました。ヨーロッパ各国からやってきた宣教師の多くが、日本の軍事力の高さに驚き、母国にその報告をしたという記録も残っています。

当時の世界情勢は、ヨーロッパ各国によって多くの国が植民地化されていた時代です。ところが日本は植民地化をまぬがれます。日本人の器用さ、勤勉さが、国を守ることにつながったとも言えるでしょう。

今日の心がけ◆創意工夫をして業務にあたりましょう

出典:職場の教養8月号

感想

火縄銃の伝来は、日本の歴史に大きな変化をもたらした転換点です。この出来事は、単なる武器の導入にとどまらず、日本の戦国時代における勢力図を大きく変え、ひいては後の日本に多大な影響を与えました。

このお話からは、日本人の底力を感じます。短期間で火縄銃の製造技術が確立された点は、当時の日本人の高い技術力と適応力を物語る素晴らしいエピソードです。限られた資源の中で、いかに工夫を凝らし、より良い社会を築くのか。それは、私たち日本人のDNAに刻まれたものなのかもしれません。

新しい技術やアイデアを積極的に受け入れ、それを自らのものにしていくことが、個人や組織の成長には不可欠です。変化を恐れず、創意工夫をしながら、チームワークで目標に向かって進んでいきたいと感じました。

否定的な感想

火縄銃の普及は、戦国時代の戦乱を激化させ、多くの犠牲者を出したという側面も否定できません。より平和的な解決策が模索されることなく、武力による解決が正当化された可能性もあります。

また、火縄銃は、外国から導入された技術です。日本独自の技術開発が阻害され、外国技術への依存度が高まったという見方もできます。

火縄銃のように、技術は人類の生活を豊かにする一方で、破壊的な力を持つ可能性も秘めています。技術開発を進める際には、その技術がもたらす可能性とリスクを常に意識し、倫理的な観点から慎重に判断する必要があると思いました。