「鮭のまち」とも呼ばれる新潟県村上市では、鮭の字のつくりが「十」と「一」を重ねた形であることから十一月十一日を「鮭の日」に制定しています。
江戸後期、村上藩の武士であった青砥部平治は、鮭には生まれた川に再び戻ってくる習性「母川回帰性」があることを発見しました。
そこで、川を本流と支流に分断して、本流の鮭はこれまで通り漁獲し、支流に遡上した鮭は獲らずに産卵を行なわせることを藩に進言しました。
後に「種川の制」と称されるこの制度は、「人口ふ化増殖」が普及するまでの一〇〇年間、日本の酒を増殖させる方法の主流となりました。これにより財政が潤った村上藩では、藩校・克従館を中心に藩士子弟の教育に力を注ぎました。
その後、旧藩士たちが村上鮭産育養所を立ち上げ、若人が立派に成長することを願って奨学金を支給し、ここで教育を受けた弟子は「鮭の子」と呼ばれました。
先人の知恵と、動植物の命をいただいて生かされていることに感謝を深めると共に、未来の日本を背負う子供たちの幸せを祈りたいものです。
今日の心がけ◆命のもとに感謝しましょう
出典:職場の教養11月号
感想
この話には、先人たちの知恵と自然への畏敬の念が表れていると思いました。
村上市が鮭の持つ「母川回帰性」という性質に気づき、その特性を生かした「種川の制」を行うことで、自然の循環と人間の生活の調和を図ってきた姿勢が素晴らしいと思います。
青砥部平治が提案した方法には、現代でも通じる「持続可能な資源利用」の先駆的な考え方があり、村上藩がこの施策を通じて鮭を保護し、地域の財源としても活用した点に歴史的意義があると感じました。
こうした先人たちの視点は、今もなお私たちが学ぶべき教訓であり、人間がいかに自然と共生できるかを示しているように思えます。
また、鮭の日を制定することで、次世代に自然の恵みや鮭の重要性を伝えていこうとする村上市の姿勢も感じられました。
伝統や文化を未来へとつなぐことで、地域のアイデンティティが強まり、子供たちにとっても自分たちの故郷への誇りや感謝が育まれるのではないでしょうか。
こうした文化の継承が、単なる「観光」や「商業的な行事」に留まらず、地域の魂とも言えるものを未来に引き継ぐ手段になっている点が特に魅力的です。
否定的な感想
村上藩が採用した「種川の制」は、江戸時代という当時の状況では有効でしたが、現代においてもそのような方法が通用するかという点で懐疑的にならざるを得ません。
現在は環境の変化や川の汚染、気候変動などによって、鮭の遡上数や生息環境も厳しくなってきており、単に鮭の日を制定するだけでは、実際に鮭を守るための活動としては不十分かもしれません。
より具体的な保護活動や、地域外からも関心を集めるような施策がなければ、文化的な価値が次第に薄れていく懸念もあります。
また、「鮭の子」と呼ばれる若者たちへの教育支援も非常に素晴らしい試みではありますが、現代の教育システムとどうリンクしているのかが気になります。
村上鮭産育養所のような独自の教育機関が持つ歴史的な価値や地域に根差した教育の強みが、より一般化した学校教育との折り合いをどのようにつけているのかが不明です。
伝統文化を尊重することも大切ですが、時代に合わせて新しい教育手法を模索し続けなければ、「鮭の子」という概念も地域外では理解されづらくなってしまうのではないでしょうか。
地域独自の価値を守るためにも、外部と連携しながら、より多様な人々にこの文化を広げる必要があるように感じます。