2024年12月28日(土) 微を防ぎ漸を杜ぐ

今年の七月に発行された新一万円札に描かれている渋沢栄一は、十五歳の時に出向いた江戸で、桐の本箱と硯箱を買って帰りました。それを見た父親は、大いに立腹し、栄一を厳重に戒めたそうです。

質素倹約を言い聞かされていた栄一は、新調する許可を得ていたとはいえ、普段使っているそれらと比べると、すこぶる華美に見えるものを購入したのです。強く戒めた父親の心意を推察した栄一は、己を判断を猛省しました。

「微を防ぎ漸を杜ぐ」とは、朱子学の「小学」という初級の教科書に記されている言葉で、「悪弊や悪事は微細な段階でこれを防ぐように努め、漸次それが拡大することを杜(寒)ぐことが肝要である」という意味です。

この言葉は、主に人の行動への戒めとして使われます。栄一の父は生活にゆとりが出るほどに自分に贅沢を許してしまい、その贅沢を許してしまい、その贅沢は知らず知らずのうちに広がってしまうことから、十分に自覚せよ、と戒めたのでしょう。

自分の心得違いを諭してくれた父親の叱責は、栄一の財産となったはずです。

今日の心がけ◆相手の言動の意味を汲み取りましょう

出典:職場の教養12月号

感想

この話は、渋沢栄一という人物の形成において、質素倹約や自省がいかに重要な役割を果たしたのかを垣間見せてくれるエピソードです。

「微を防ぎ漸を杜ぐ」という朱子学の教えが引き合いに出されることで、小さな行動の積み重ねが後々の大きな影響に繋がるという普遍的な教訓がわかりやすく伝えられています。

栄一の父が息子に伝えたかったのは、単なる贅沢の禁止ではなく、倫理的な慎みと先見性を持つことの大切さだったと感じます。

父の叱責を通じて栄一が得たものは単に「物を大切にしなさい」という教えではなく、慎重な判断力と自分の行動が引き起こす結果を深く考える姿勢だったのでしょう。

栄一が後に日本経済の発展に大きく貢献した背景には、こうした基本的な価値観が確立されていたからこそだと考えられます。

この話は、現代の私たちにも、小さな贅沢や無意識の行動に潜むリスクを考えさせ、日々の暮らしや仕事においてより慎重な行動を取るきっかけを与えてくれると思います。

否定的な感想

このエピソードが現代社会にどの程度そのまま適用できるのかについては疑問が残ります。

特に、「質素倹約」という価値観が必ずしも全ての場面で正しいかという点について議論の余地があります。

現代の消費社会においては、適度な投資や自己満足を得るための支出が、逆に生活の質を高めるケースも少なくありません。

また、質素倹約を過度に求めることが、時には新しいアイデアや自己表現の自由を抑制するリスクもあるのではないでしょうか。

さらに、父親の叱責に対する栄一の猛省という描写は美談として捉えられますが、叱ること自体が必ずしも最善の教育手段ではない場合もあると思います。

特に現代では、失敗を通じて学ぶことや、自発的な気づきが重要視される傾向が強まっています。

叱責による教育がどれほど持続的な効果を生むのかは、状況や個人の性格に大きく依存するため、単に「良い教訓」として片付けるには一面的すぎるかもしれません。

こうした視点を踏まえると、この話の教訓を現代に応用する際には、柔軟な解釈や価値観の多様性を考慮する必要があると感じます。