うららか
「春のうららの隅田川」から始まるこの歌は、武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の『花』です。学校の音楽の時間に歌ったり聞いたりした人も多いでしょう。
「うららか」は、晴れた空やのどかな日差しなど、春の陽気を表わす言葉としてよく使われます。それ以外にも、心が晴れやかであることや、隠し事やわだかまりがない状態を示す場合もあります。
ここで、「心」は表には見えないことから、「うら(裏)」と読むと言われています。馴染みが薄いかもしれませんが、現在でも「心寂しい」「心悲しい」「心泣く」「心ぶれる」などの単語が存在します。
『花』の歌詞では、桜や青柳、明け方の空や朝露、そしておぼろ月など、多くの自然の美しさが歌われています。歌を通して自然と接することで、私たちの心も豊かになるでしょう。
人は美しいと感じるものに触れれば触れるほど、その感性が磨かれます。身近な自然を通して、うららかな心を保ちたいものです。
今日の心がけ◆自然の美しさに触れましょう
出典:職場の教養4月号
感想
「うららか」という一語から、ここまで豊かに心の世界を広げていく語りにとても魅力を感じました。
特に、「うら(裏)」と「心」を結びつけた説明には深い納得感があり、目には見えない心の在りようを、言葉の成り立ちを通じてそっと教えてくれるような温かさがありました。
日本語の奥深さと、それが日常の情緒や自然の美しさとつながっていることに改めて気づかされます。
また、歌『花』を通じて語られる春の景色は、私たちの記憶や感情にそっと触れてくるようで、単なる懐かしさ以上に「感性の再起動」を促してくれるような感覚がありました。
春の「うららかさ」は気候だけでなく、自分の心持ちによっても感じ方が変わるもの。
だからこそ「自然に触れることで心も豊かになる」というメッセージには大きく共感します。
今日の心がけである「自然の美しさに触れましょう」も、ただ散歩をすることだけではなく、心を開いて自然を感じることの大切さを改めて思い出させてくれます。
小さな花一輪でも、じっと見つめて心がうららかになるような感覚を大切にしていきたいと思いました。
否定的な感想
「うららか」という言葉が持つ本来の意味や深みを掘り下げながらも、それが現代の生活や人間関係の中でどう生きるのか、という視点にはやや物足りなさを感じました。
自然の美しさに感動する心を持つことは大切ですが、日常の中でそれを維持するのは、案外難しいものです。
現代の私たちは、スマホやSNSに囲まれた生活を送り、ふとした空の色や木々の香りに気づけないことも多いです。
だからこそ、単に「自然に触れましょう」と言うだけではなく、「どうすれば自然と心がつながるのか」という現代的な工夫や視点が欲しかった気もします。
また、「心」を「裏」と読むという説明には興味を惹かれましたが、それが本文全体に活かされていたかというと、やや関連が薄かったようにも思えます。
「心寂しい」「心泣く」といった語が存在することの紹介も、語源の話に留まり、読者の心に届く使い方としての展開には至っていなかった印象があります。
全体として、言葉と自然の美しさへの愛情は感じられましたが、それを現代人の心の実態とどう結びつけるか、という橋渡しがもう少し欲しかったというのが率直な感想です。