人は皆わが師
日本教育史に名を残す稀代の教育者であった森信三氏をして「明治以降の我が国の教育史における『百年一出』の巨人」「超凡破格の教育者」と言わしめた人物が、熊本の小学校教師の徳永康起氏でした。
徳永氏の没後、知人たちの手によって、語録『天意百語抄』が出版されましたが、その中に「教え子みなわが師なり」という言葉があります。
「自分の身近に存在する人は、たとえ教え子たりとも自分に心のありかたや行動のありかたを教えてくれるとても大事な存在である」という、謙虚な受け止め方に氏の教え子への優しさが滲み出ているのではないでしょうか。
日々の生活や仕事で多くの人に接し、時には相手の言動に腹が立つこともあるかもしれません。 しかし、そのような時こそ冷静になって状況を見つめてみると、自分では気づかない大事なことを教えてくれていることがあります。
自分の周りにいる人たちは、自分にとってかけがえのない存在だと、改めて認識を深めていきたいものです。
今日の心がけ◆周囲の人から謙虚に学びましょう
出典:職場の教養6月号
感想
「教え子みなわが師なり」という言葉に、深い感銘を受けました。
教育者という立場にありながら、自分が一方的に知を与える存在ではなく、むしろ教え子たちから学ぶことの意義を見出すその姿勢に、徳永康起氏の人間的な奥行きと器の大きさを感じます。
謙虚さとは単なる控えめさではなく、相手の存在を等しく尊び、そこから自らを見つめ直す勇気でもあるということを、この言葉は静かに語りかけてくれます。
また、今日の心がけ「周囲の人から謙虚に学びましょう」は、今の時代にこそ強く響く指針です。
私たちはともすると、他者の言動を批判したり、自分の考えを正当化したりすることに忙しくなりがちですが、そんな時こそ、相手が自分に何を気づかせてくれているのかに目を向ける視点を持ちたいと改めて思いました。
徳永氏のような姿勢を持つことは難しいけれど、理想として心に留め続ける価値があると感じます。
否定的な感想
この話には心打たれる部分がある一方で、「教え子みなわが師なり」という考え方が理想論に寄りすぎていて、実際にはそれほど簡単なことではないと感じました。
日常の中で、他者の未熟な言動や理不尽な行動に接することも多く、そこから「学ぼう」とするには相当の精神的成熟が求められます。
すべての人の中に学びがあるというのは一見美しい思想ですが、現実にはそのまま鵜呑みにできるわけではありません。
また、このような高尚な精神性を説くことが、かえって人にプレッシャーを与える可能性もあります。
「周囲から学べていない自分は未熟だ」と感じてしまう人もいるかもしれません。
謙虚であることは大切ですが、それを常に求められると、自己否定につながってしまう危うさもあるのです。
教え子や他者を師と見る視点は素晴らしいですが、それはあくまで個人の信念として捉えるべきであり、誰もが実践すべき正解として受け取るには慎重になる必要があると感じました。