2025年6月27日(金) 高い価値

高い価値

中学校の社会科の教師となって十年になるF氏は、教職課程で学んだ歴史学を専門とする教授の言葉を、これまで教育実践の指針としてきました。

教授は毎回の講義の終盤になると、「教育とは、高い価値を提示することである」ということを語り、高い価値と向き合って生きる人間を育成することの大切さを力説していました。

教授が言う「高い価値」とは、真理、正義、最高の善、最高の愛など、すぐには答えの出ない、より高いもののことです。教授は、「人間は高い価値と向き合うことで本来の人間となっていくのです」と述べて講義を締めくくります。

F氏は近年、教授の言葉を振り返りつつ、様々な知識を学ぶことの大切さと共に、高い価値と言われるものにじっくり向き合うことで人間の中心軸が作られると考えるようになりました。

高い価値とじっくり向き合いながら、社会で働いて生きていく人間を、教師であり続ける間、一人でも多く育てていこうとF氏は決意しています。

今日の心がけ◆深い問いとじっくり向き合いましょう

出典:職場の教養6月号

感想

F氏が十年にわたり「高い価値」と真摯に向き合い、それを中学生に伝えようとしている姿勢に心打たれました。

教育という営みの中で、「高い価値」を提示し続けることを信念とする姿勢は、現代の効率重視・結果重視の風潮の中で、極めて尊く、失われがちな本質を守っているように思います。

真理や正義、愛といった言葉は、いまや漠然として扱われがちですが、それをなお信じ、問い続ける姿勢にこそ人間の尊厳が宿るという教授の信念は、教育の根本を突いています。

F氏が十年間この教えを支えに教師を続けてきたことは、理念が単なる理想にとどまらず、実践を通じて深められてきた証です。

「高い価値に向き合うことが人間の中心軸をつくる」というF氏の思索も、日々の授業や生徒との関わりの中で、時間をかけて育まれてきたものでしょう。

今日の心がけにある「深い問いとじっくり向き合いましょう」という一文は、まさに現代にこそ必要な静かな呼びかけです。

情報の速さや結論の明快さに押し流されそうな日常の中で、自らに問い、子どもたちにも問いを向け続けるこの姿勢が、社会を根本から支える力になるのではないでしょうか。

否定的な感想

この話には一抹の不安も感じます。それは、「高い価値」という言葉が、あまりにも抽象的で、現実の教育現場との距離を感じさせることです。

真理や正義を教えるという理念は美しいものですが、それをどうやって中学生に具体的に伝えるのか、という視点がやや抜け落ちているようにも思えます。

理想が高いほど、現場での実践が追いつかないときの乖離は大きく、そのギャップが教師の自己否定や燃え尽きを招く可能性もあるでしょう。

また、「高い価値」に向き合う人間を育てるという目標が、教育者の主観によって限定的になってしまう危険性もあります。

何を「高い」とするかは、文化的・歴史的・個人的背景によって異なるはずであり、固定的な価値観を押し付けてしまうリスクも孕んでいます。

特に中学生のような多感な時期に、教師が「高い価値」を提示する際には、その問いを「共に考える」という姿勢が不可欠です。

理念と現実の距離をどう埋めるか。

その橋渡しこそが、これからの教育に必要な工夫であり、F氏のような教師が「深い問い」に対して常に自分自身も答えを模索し続けることで、はじめて生徒に本物の問いかけができるのだと思います。