2026年3月21日(土) 病から学ぶ

病から学ぶ

生活する上で、思いもよらない状況に直面することがあります。

病気もその一つです。場合によっては、日常生活が難しくなることもあるでしょう。心理カウンセラー・セラピストの岡部明美氏は、三十代半ばで脳腫瘍と水頭症を患いました。

手術により命を救われ、その後の闘病生活を通じて、病気や死と向き合いながら気づいたことを詩に綴っており、その中に、次の一節があります。

「病気は(中略)自然なままのあなたの姿から遠く生きていることへの警告 からだがあなたを生かすために投げかけた命綱 病気はどこまでもどこまでもあなたのいのちを守ろうとする あたたかな いのちのシステム」

病気は、一般的には歓迎できるものではありません。しかし、体に起きた異常は、心や生活の中にある不自然さのサインかもしれません。その原因に向き合い、できる範囲で改善することが、より良い人生へのきっかけになる場合もあります。

病気と向き合うことは、簡単なことではないでしょう。病気に限らず、身の回りの出来事をありのままに受け止めていきたいものです。

今日の心がけ◆体の発する声に耳を傾けましょう

出典:職場の教養3月号

感想

岡部明美氏が紡いだ「病気はあたたかないのちのシステム」という言葉には、絶望の淵に立たされた者にしか見えない、逆説的な慈愛が満ちています。

私たちは日頃、健康であることを「当然の権利」のように錯覚し、効率や成果を追い求めるあまり、自分の肉体を単なる「道具」として酷使しがちです。

しかし、病という強制終了の事態に直面したとき、初めて私たちは、これまでどれほど自分の本質から乖離した生き方をしていたかに気づかされます。

病気は決して、私たちを苦しめるために訪れる刺客ではありません。

むしろ、無理を重ねて悲鳴を上げている魂を救い出すために、体が最後に放った「命綱」なのだという視点は、あまりに優しく、そして鋭い洞察です。

痛みや不自由さは、今の生き方が「不自然」であることを知らせる、体からの必死のメッセージ。

それに耳を傾けることは、自分自身の「いのち」を他人任せにせず、再び自分の手に取り戻すプロセスと言えるでしょう。

「ありのままに受け止める」という態度は、諦めではありません。

むしろ、自分という存在の有限さを認め、その中で精一杯生きようとする能動的な決意です。

病を通じて生活を見つめ直すことは、新しい人生の地図を描き直す好機であり、そこにこそ「より良い人生」への種火が宿っているのです。

否定的な感想

病を「命を守ろうとするあたたかなシステム」や「警告」として一律に捉えることには、ある種の残酷さが伴うことも否定できません。

世の中には、どれほど健康に配慮し、心穏やかに生きていても、理不尽に襲いかかる難病や不治の病が厳然として存在します。

そのような過酷な状況にある人々に対して、「あなたの生き方に不自然な点があったからだ」というメッセージは、図らずも本人の過去を否定し、過度な自己責任論を押し付けてしまう危うさを孕んでいます。

病気が常に「意味のある試練」であると定義してしまうと、その意味を見出せない苦しみの中にいる人々を、さらに精神的な孤独へと追いやってしまうかもしれません。

体からのサインを受け止める余裕すら奪うほどの激痛や、回復の見込みがない絶望感の中にいるとき、それを「あたたかなシステム」と呼ぶのは、あまりに楽観的で美徳化された解釈に映るでしょう。

また、病気をきっかけに「改善」を促すという考え方は、裏を返せば「健康でなければ完璧ではない」という無意識の選別意識を生みかねません。

ありのままを受け止めるべきなのは、病を得た「理由」や「改善点」を探すためではなく、ただそこに存在している苦しみを、意味付けせずに肯定するためであるべきです。

ポジティブな教訓化が、時に個人の尊厳ある悲しみを塗りつぶしてしまわないか、私たちは慎重に考える必要があります。

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