2024年11月17日(日) 勝っても負けても

肥前国平戸藩(現在の長崎県平戸市)の九代藩主、松浦清が残した言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」というものがあります。

剣術家でもあった清が「偶然勝つことはあっても、偶然負けることはない。負けるときには必ず原因がある」という意味で、『常静子剣談』に記した言葉です。

ことわざに「火のない所に煙は立たぬ」とあるように、何事もその結果には必ず原因が存在するものです。しかし「勝ちが転がり込む」というような言い回しが示すように、「思いもよらぬ」ことで成功することは時々あるものです。

逆に、負ける時には「負けが転がり込む」という言い方をしないことからも、失敗する時には必ず原因があり、失敗すべくして失敗しているものなのです。

このことから、自身の仕事にも失敗する要因はないかとチェックする習慣が大切であることが分かります。同時に、偶然の成功であっても振り返りを行ない、偶然のままで終わらせないことも大切でしょう。

「成功」と「失敗」のどちらにも、次に繋がるものがあると心得たいものです。

今日の心がけ◆原因を明らかにしましょう

出典:職場の教養11月号

感想

松浦清の「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という言葉には、深い洞察が込められています。

この言葉は、私たちが何かに挑戦する時の心構えとして重要な示唆を提供しているように感じます。

特に、失敗の原因を分析し、自らの行動や状況を冷静に振り返ることの大切さを示しています。

この視点から見ると、失敗はただの挫折ではなく、自分を磨くための貴重な「教訓の宝庫」として受け止めることができるでしょう。

失敗がただのマイナスではなく、成長のための土台であると考えれば、どんなに辛い体験であっても、冷静に原因を分析し、次に活かすことができる。これは、人生を生き抜くための大切な知恵と言えるのではないでしょうか。

また、「勝ちには偶然があり、負けには必ず原因がある」という考え方は、成功に対する慢心を戒める意味も含まれているように感じます。

自分の成功を振り返らず、ただの幸運と甘んじてしまうことは、次の機会に失敗を招きかねません。

松浦清の言葉は、勝った時こそ原因を振り返り、幸運だけで終わらせず、さらなる精進に努めることを強調しているのでしょう。

このように、自分を謙虚に振り返り、自己の成長を重視する姿勢は、現代のビジネスや日常生活においても非常に価値のある教訓と感じます。

特に結果を求められる場面が多い社会では、偶然の成功をただの「運」として片付けず、その裏にある努力や運用を精査することが、安定した成果を得るための秘訣となると感じます。

否定的な感想

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という考え方は、少し厳しすぎる一面もあるのではないでしょうか。

確かに原因を究明し、自らの行動を省みることは成長のために重要ですが、現実には原因を明らかにできないこともあります。

たとえば、予測不可能な出来事や外部環境による影響が、どうしても自分の力ではどうにもならない「不思議な負け」もあるはずです。

そのような時にまで自分を責めすぎることは、かえって自己評価を下げ、次の挑戦を躊躇させる原因になりかねません。

すべての失敗に理由があると考えることは、自己改善のためには確かに良いのですが、時には「仕方がない」と認め、過度に責任を負わないことも大切だと思います。

また、この言葉の持つ「成功は偶然で、失敗には必然がある」という考え方は、成功への過小評価に繋がりやすいという懸念も感じます。

たとえば、成功をただの「不思議」と捉えることは、自分の努力や能力を軽視する要因にもなりかねません。

成功の背景には、必ず努力や工夫があったはずですし、それを偶然の一言で片付けてしまうのは少し残酷ではないでしょうか。

自分の成果を正当に評価せず、ただの運として扱うことは、自己肯定感を低くしてしまう危険性もあります。

松浦清の言葉は深みがありながらも、すべてに当てはまる真理とするには少し窮屈に感じる部分もあるのではないかと考えます。

自分の成果や失敗を、無理に原因と結びつけず、必要以上に自責しない心の余裕もまた、現代社会では求められているのかもしれません。