八十八夜
八十八夜は、立春から数えて八十八日目にあたる特別な日で、今年は五月一日です。この頃は、茶摘みや種まき、田植えなどの春の農作業が盛んに行なわれ、農業に従事する人々にとって大切な時期となります。
唱歌「茶摘」の歌詞には「夏も近づく八十八夜」とあります。この歌は、「八十八夜」のほかに「茜だすき」や「菅の笠」など、美しい日本語の響きとともに、昔の茶摘みの様子が歌われています。
Yさんは幼い頃、祖母と一緒に「茶摘」の歌を歌いながら手遊びを楽しんだ思い出があります。
「せっせっせーのよいよいよい」と始まり、交互に手を合わせる動作は、お茶を摘む手つきを真似たもので、最後に「とんとん」と両手を合わせて終わります。
Yさんは久しぶりにこの遊びをして当時を思い出すと、懐かしい祖母の手のぬくもりや笑顔が蘇ってきました。そして、Yさんは手遊びや美しい日本語を次の世代の人たちに伝えていこうと思ったのでした。
今日の心がけ◆日本語の美しさを伝えましょう
出典:職場の教養5月号
感想
このお話には、日本の季節感と文化の豊かさがぎゅっと詰まっていて、とても温かい気持ちになりました。
特に「八十八夜」という節目を大切にする感覚は、自然とともに生きてきた日本人ならではのものだと改めて感じます。
そして、ただ季節を感じるだけでなく、そこに「茶摘み」という具体的な営みが結びついていることで、時間の流れにしっかりと寄り添って生きる姿勢が見えてきます。
Yさんが祖母との思い出を通して、茶摘みの手遊びを懐かしんだ場面は、胸が熱くなりました。
幼い頃の記憶というのは、ふとした拍子に鮮明に蘇るものですが、そこに「手のぬくもり」という具体的な感覚が結びついているのがとても印象的です。
人の心に残るものは、ただの言葉や行動ではなく、温度や音、リズムといった五感を伴う体験なのだと、改めて気づかされました。
今日の心がけ「日本語の美しさを伝えましょう」にもぴったりなお話でした。
美しい日本語が、単なる言語ではなく、思い出や人と人との絆を運ぶ大切な器であることが、Yさんの体験から深く伝わってきました。
否定的な感想
この話の中で少し気になったのは、八十八夜という行事が持つ、現代における意味について深掘りがなかったことです。
もちろん、茶摘みや手遊びの話はとても温かいのですが、今の時代、都市化が進み、農作業に触れる機会がほとんどない人たちも多くなっています。
八十八夜を単なる「昔の行事」として懐かしむだけで終わってしまうと、次の世代にはその本質がうまく伝わらないのではないかという危惧も感じました。
また、「日本語の美しさ」を伝える大切さに触れてはいるものの、具体的にどのように次世代に伝えていくかという視点がもう少しあれば、さらに説得力が増したと思います。
たとえば、手遊びを幼稚園や小学校で取り入れる、地域の行事と結びつけるなど、現代的な工夫があれば、単なる懐古に留まらず、今を生きる子どもたちの中にも自然に根付いていくはずです。
過去を愛しむだけでなく、今にどう生かしていくかという視点も忘れずに持つことが、これからの「心がけ」として求められるように感じました。