2025年6月30日(月) 大祓

大祓

本日は「夏越の祓」と呼ばれる神事が全国各地の神社で行なわれます。これは元日からの半年間で身についた穢れを祓い、無病息災を祈る行事です。

元々は宮中や神社において、一年の締めくくりである十二月と、折り返しとなる六月の晦日に行なわれる、年に二度の「大祓」という神道儀式でした。

日本人が大切にしてきた「清らかな心」とは、何かしらの能力や技術を以て「獲得」するというものではなく、生来持っていると考えられ、清らかさを発露させるために、その障害となる穢れを「祓う」のです。

穢れを進んで身につけようとする人はいないでしょうが、それでも気づかないうちに身についてしまうのが「穢れ」なのです。

仕事でも意識や考え方が、気づいた時には、ずれているということもあります。デスクの上の積み上がった書類も意識して積み上げたわけではないはずです。

ちょうど一年の半分となる本日、半年間を振り返って様々なものを点検し、穢れを祓うような意識で、後半に臨む心を整えたいものです。

今日の心がけ◆半年間を振り返ってみましょう

出典:職場の教養6月号

感想

「夏越の祓」という日本古来の神事を通して、心の穢れを祓い清めるという発想には、現代人にとっても深く共感できるものがあります。

特に「清らかな心は獲得するものではなく、生来持っているものを引き出すために障害を取り除く」という考え方は、自己啓発や成長に疲れがちな今の社会に対して、優しく包み込むような視点を提供しているように感じました。

また、穢れは意図的につくものではなく、日常の中で無意識のうちに蓄積していくという認識も、とても腑に落ちます。

日々の忙しさの中で、いつのまにか心の中に曇りが生まれている。それを「祓う」という行為を通じてリセットし、改めて心を整えるという姿勢は、単なる宗教儀式に留まらず、生活哲学の一つとして受け止められるでしょう。

今日の心がけにあるように、ちょうど一年の折り返しとなるこの日に、自分自身を点検し、整えるという習慣は、精神的にも実務的にも非常に有益です。

書類が積み上がるのと同じように、心もまた放っておくと乱雑になる。

そんな視点を持てたことに、静かな気づきを得られました。

否定的な感想

「穢れを祓う」という行為そのものがどこか形式的に映る側面も否めません。

特に現代社会においては、神事や儀式の意義が日常生活と乖離して感じられることもあり、そうした宗教的な表現が実際にどこまで人々の内面に響いているかは、少し疑問を感じます。

また、「生来清らかさを持っている」という前提には、どこか理想化された人間像が込められているようにも受け取れます。

現実には、人は環境や経験によって内面が大きく変化するものであり、「清らかさ」は努力や学びを通じて育まれていく側面もあるのではないかと思います。

それを「元から持っている」としてしまうと、逆に自分を省みる努力が軽視されかねないという危惧もあります。

「半年を振り返る」という今日の心がけも、忙しい現代人にはどこか精神的な負担となり得る場面もあるでしょう。

実際には、振り返りたくない出来事や、心の中に沈んだままの感情に向き合わざるを得なくなることもあります。

そのような心の重さに対して、もう少し柔らかい導きがあってもよかったかもしれません。