幸福な王子
有名な児童文学の一つに、十九世紀のアイルランドの作家、オスカー・ワイルドが記した『幸福な王子』があります。
ある国に「幸福な王子」と呼ばれる美しい王子がいましたが、彼は早くに亡くなりました。その死を惜しんだ人々は、町の中心に王子の銅像を建てたのでした。
やがて、その王子像は自我をもつようになり、町で暮らす人々の様子をつぶさに観察するようになりました。そこで困っている人々に自分が身に着けているサファイア、ルビー、金箔などの装飾品を届けるようツバメにお願いしたのでした。
時は経ち、冬が訪れた頃、王子像は装飾品がすべて無くなり、みすぼらしい姿になっていました。ツバメも徐々に衰えて、王子像の脇で力尽きたのでした。
その様子を見ていた神は天使に「この町で最も尊い二つの存在をここに運んできなさい」と命じると、天使は王子像とツバメを運んできました。この二つの尊い存在は永遠の命をさずかり、楽園で幸せに暮らすようになったのでした。
困っている人がいたら、手を差し伸べることができる自分になりたいものです。
今日の心がけ◆困っている人に親切にしましょう
出典:職場の教養9月号
感想
『幸福な王子』は、美しさと哀しみが織り交ざった物語でありながら、人間の「与える愛」の本質を深く問いかけてくる作品だと感じました。
王子の像が自らの美しさや誇りを一切顧みず、ただ純粋に人々の苦しみを和らげたいと願う姿は、私たちに「本当の幸福とは何か?」という根本的な問いを突きつけてきます。
見返りを求めない利他的な行動、そしてそれを支えるツバメとの連携が、静かな奇跡のように感じられました。
王子はもしかすると生きていた時には町の人々の苦しみに気づかず、像となってから初めてそれらに目を向けたのかもしれません。
これは、私たちが日常の中でどれほど周囲の痛みに鈍感になってしまっているかを象徴しているようにも思えます。
美しいものが剥がれ落ちていく過程が、むしろ内面的な輝きを増していくという逆説的な構造も見事でした。
今日の心がけにある「困っている人に親切にしましょう」は、この物語を一言で表現しているようです。
ただし、その親切は施す者の満足ではなく、相手の痛みに寄り添う行為であるべきだということを、この作品は教えてくれます。
否定的な感想
『幸福な王子』は、その美しい教訓と宗教的な救済の物語として確かに感動的ですが、一方で現代的な視点から見ると、いくつかの違和感も覚えます。
まず、自己犠牲を美化しすぎている印象が拭えません。
王子像もツバメも、最終的に命を落とすことで尊さが強調される構造は、善意の行動に対してあまりに苛酷な代償を求めているようにも感じられます。
また、救済の場が「楽園」という形で描かれている点にも限界を感じます。
現実の世界で苦しんでいる人々にとって、死後の報いがあるという考え方だけでは不十分です。
本当に必要なのは、生きているうちに互いに助け合える社会であり、そこでの幸福であるべきではないでしょうか。
この物語が伝える価値観が、現実の社会問題や貧困に対してあまりに抽象的で、個人の善意に過度に依存しているようにも思えてしまいます。
さらには、王子像の「上から目線」の優しさが、若干の違和感を伴う瞬間もあります。
自らは一切の苦しみを知らずに育った王子が、死後に他人の苦しみを見てようやく行動を起こすという展開には、ある種の偽善的な響きさえ漂います。
善行を行う動機が「自らの心の痛み」であるならば、それは本当の意味での他者への配慮なのか、という問いも生まれます。
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