両国の川開き
日本最初の花火大会は「隅田川花火大会」と言われています。
その起源は江戸時代の享保十七(一七三二)年に発生した大飢饉に遡ります。この年、多くの人々が飢えに苦しむなか、さらに疫病の流行も重なり、甚大な被害が出ました。
翌年、八代将軍の徳川吉宗は、犠牲となった人々の御霊を慰め、悪疫退散を祈願するため「水神祭」を執り行ないました。
その際、両国橋周辺の料理屋が幕府の許可を得て花火を打ち上げたのが、現在の隅田川花火大会の原点とされ、当時は「両国の川開き」と呼ばれていました。
夏の風物詩としての花火大会は、人々の心を高揚させ感動させてくれます。その一方で、地方によっては先祖の霊を導く迎え火や送り火としての役割や、戦災・災害で亡くなった人々への慰霊の想いなど、様々な祈りも込められています。
夜空に広がる大輪の花火に心を躍らせつつ、平和な今日があるのは先人のおかげであることに思いを寄せながら、美しい花火を眺めたいものです。
今日の心がけ◆先人への思いを深めましょう
出典:職場の教養8月号
感想
隅田川花火大会の起源を読みながら、私はただの娯楽行事と思っていた花火大会が、実は深い祈りと追悼の歴史に根ざしていることに心を打たれました。
享保の大飢饉という過酷な時代背景、疫病で苦しんだ人々の御霊を慰めるために行われた「水神祭」。
その精神が現代まで脈々と受け継がれていると知り、感動と同時に敬意を感じます。
花火を見上げながら、そこに込められた祈りを思い出すことで、私たちはただ楽しむのではなく、静かに歴史と先人への感謝を共有しているのだと気づかされます。
また、今日の心がけ「先人への思いを深めましょう」は、まさに花火という一瞬の美しさの中に永続する記憶や祈りを重ねる行為そのものであり、私たちの日常においても、どれだけ先人の知恵と努力に支えられているかを再確認させてくれる素晴らしい言葉です。
美しさの裏にある重みを感じることで、私たち自身の感性もまた豊かになるのだと思います。
否定的な感想
このような由緒ある伝統行事が現代においてどこまで本来の意味を保てているのかという疑問も抱きました。
隅田川花火大会は、今ではメディアに取り上げられ、商業イベントとしての色合いが強くなりつつあります。
人々は「夏の風物詩」として花火を楽しみますが、その多くが起源や背景に思いを馳せることなく、ただのエンターテイメントとして消費している現実があります。
そうした形骸化は、文化や精神の衰退を象徴しているようにも感じられ、残念に思います。
また、大勢の人が押し寄せることで周辺住民への迷惑や、ゴミ問題、騒音といった現代ならではの社会的課題も無視できません。
本来、慰霊や祈りといった厳かな意味合いがあるはずの行事が、単なる喧騒の中に埋もれてしまっているのではと心配になります。
私たちは、その背景にある精神を忘れずに、ただ楽しむだけでなく、心を静かに傾ける姿勢を持つべきではないかと思いました。