「病気を診ずして病人を診よ」
日本では江戸時代から明治時代にかけて脚気が蔓延しました。脚気とはビタミンB1の欠乏により起こる病気で、重症化すると心不全や末梢神経障害に至ります。
この時代、脚気の原因究明に奔走したのが、海軍軍医の高木兼寛です。当時の日本の医学界は、学説や研究が重んじられていました。
しかし、イギリス留学で臨床医学を学んだ経験をもつ高木は、「病気を診ずして病人を診よ」の精神を軸に、患者の状態を徹底的に観察し続けました。
観察の中で、高木は「栄養不足こそ脚気の原因である」という仮説を立てます。肉などたんぱく質の多い食事を摂る英国海軍では脚気が少なかったのに対し、日本海軍は白米中心の食事であり、この違いが発症に関係していると考えたのです。
その後、高木は白米から麦飯への切り替えや、カレーなどの洋食の導入といった実証実験を重ねました。その結果、脚気患者は大幅に減少していきました。
「何が求められているのか、そのために何をすべきか」の答えは、それぞれの現場にあります。今やるべきことを再確認して業務にあたりたいものです。
今日の心がけ◆ 要望に応える働きをしましょう
出典:職場の教養5月号
感想
「病気を診ずして病人を診よ」という言葉には、専門知識の壁を超えた、人間に対する深い慈しみのようなものを感じました。
高木兼寛さんが直面した当時の医学界は、おそらく目に見える数値や理論が絶対という空気だったのでしょう。
その中で、目の前で苦しんでいる兵士たちの「生活そのもの」に目を向け、食事という日常の営みに原因を見出した視点の鋭さに驚かされます。
彼は単に病名を探していたのではなく、その人がどんな環境で、何を食べて生きているのかという「人生の背景」を丸ごと受け止めようとしたのではないでしょうか。
このエピソードを現代の私たちの生活に置き換えてみると、仕事や人間関係でも同じことが言えるような気がします。
私たちはつい、目の前の問題を「マニュアル」や「一般論」に当てはめて解決しようとしがちです。
けれど、本当に必要な答えは、データの中ではなく、相手のちょっとした表情や、現場の些細な違和感の中に隠れていることが多いものです。
高木さんが白米から麦飯へ変えるという、一見泥臭い手法で多くの命を救ったように、私たちも理屈をこねる前に、まずは目の前の「人」をしっかり見つめる謙虚さを忘れたくないな、と強く思わされました。
否定的な感想
このエピソードを美談として受け取るだけでは、少し危うい面もあるのではないかという気がしています。
高木さんの「麦飯」による成功は素晴らしい結果を生み出しましたが、当時の医学界からすれば、根拠となるビタミンB1が未発見の状態での施策は、ある種の「勘」や「経験則」に頼った危うい賭けのようにも見えたはずです。
結果的に正解だったから良かったものの、理論的な裏付けを軽視して現場の感覚だけで突き進むことは、組織運営においては時に大きなリスクを伴う可能性もあるのではないでしょうか。
また、「要望に応える働きをしましょう」という結びについても、少し立ち止まって考えてみたくなります。
高木さんのように「現場に答えがある」と信じて行動することは大切ですが、それが「上からの要望にただ応える」という受動的な姿勢に繋がってしまうと、本質を見失う恐れがあると感じるからです。
彼はむしろ、当時の医学界という大きな組織の「常識」に対して、現場の事実を武器に挑んでいった革命児だったはずです。
単に周りの期待に合わせるのではなく、時には周囲の反対を押し切ってでも「何が本当に正しいのか」を貫き通す強さこそが、彼の真骨頂だったのではないかと。
そう考えると、この話を単なる「忠実な働き」の教訓にしてしまうのは、少しもったいない気がしてなりません。
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