2026年6月13日(土) ゴミ拾い

ゴミ拾い

何事においても最初は意気込んで臨みますが、慣れが生じ、やがてマンネリ化すると、徐々に何のために始めたのか分からなくなってしまうことがあります。

A氏は街の美化に貢献するために、早朝の運動も兼ねてゴミ拾いを始めることにしました。毎朝続けるのは大変でしたが、近所の人に感謝の言葉をかけられることも増え、次第に喜びを感じるようになりました。

そんな折、道路脇や公園にタバコの吸い殻や飲食のゴミが大量に捨てられていることが続き、A氏は憤りを感じたまま自宅に戻りました。

妻に経緯を説明すると、「不機嫌になるくらいなら拾うのをやめればいい」と言われました。A氏は、初めは感謝の気持ちを深めるために取り組んでいたのに、最近は不満を口にしながら行なっていたことに気づいたのです。

当初の目的を忘れて惰性で続けていると、ただ繰り返すこと自体が目的化してしまいます。

現在取り組んでいる仕事や自身の選択に対して、目的や手段、方向性を再確認し、喜んで進んで物事に取り組みたいものです。

今日の心がけ◆ 目的を忘れずに取り組みましょう

出典:職場の教養6月号

感想

何かを始めた当初の純粋な動機や目的が、日々の慣れや予期せぬストレスによって見失われてしまうというプロセスは、誰しもが仕事やプライベートで経験したことがあるのではないかと、深く共感しながら読みました。

A氏のように「街を綺麗にしたい、自分の感謝の気持ちを深めたい」という素晴らしい善意からスタートしたことであっても、マナーの悪い他人の行動に直面し続けるうちに、いつの間にか「なぜ自分がこんな他人の尻拭いをしなければならないのか」という不満にすり替わってしまう。

これは人間の心理として非常にリアルな変化だと思います。

ここで奥様の「不機嫌になるくらいならやめればいい」という一言が、A氏にとって素晴らしい冷や水となり、我に返るきっかけになった点が印象的です。

私たちは仕事においても、日々のタスクをこなすこと(手段)に追われるあまり、「何のためにこの業務を行っているのか(目的)」を忘れ、効率の悪さや周囲への不満ばかりを募らせてしまうことがあります。

定期的に立ち止まり、「自分はなぜこれを選んだのか」という原点に立ち返ることで、他人の行動に振り回されることなく、自らの意志と喜びを持って主体的に物事に取り組む強さを取り戻せるのだと、大切な教訓を与えられた気がします。

否定的な感想

このお話が導き出す「目的を見失わずに、喜んで進んで物事に取り組もう」という結びに対しては、少し個人の内面への要求が厳しすぎるのではないかという違和感も残りました。

A氏が大量のゴミを前にして憤りを感じたのは、彼が当初の目的を忘れたからではなく、単に「ルールを守らない人が多すぎる」という社会的な不正義に対する極めて真っ当なモラルからの反発です。

それを「自分の心の持ちよう(目的の忘却)」のせいにして片付けてしまうのは、少し綺麗事に寄りすぎているように感じます。

ボランティアであれ仕事であれ、理不尽な状況や他者の無責任な行動に対して怒りやストレスを覚えるのは自然な感情であり、それを「不満を言うくらいならやめろ」と言われたり、「喜んでやれないのは自分の姿勢が悪いからだ」と内省を強制されたりするのは、少々酷な話です。

むしろ、感情がすり減るほどの状況に直面したならば、無理に初期の目的を思い出して自分を納得させるのではなく、「現在はシステムの限界や個人の負担が大きすぎる状態だ」と冷静に捉え、ゴミ箱の設置を自治体に働きかけるといった「仕組みの改善」へ目を向けるべきではないでしょうか。

精神論だけでモチベーションを維持しようとすることの限界を、逆説的に考えさせられるエピソードでもありました。

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