秋の声を聴く
昼間の暑さが少し落ち着く頃、夕方になると、あちらこちらから虫の音が聞こえてきます。代表的な秋の虫といえば、鈴虫やコオロギでしょう。
窓の灯の草にうつるや虫の声(正岡子規)
この俳句に詠まれているように、私たち日本人は古くから虫の音を「声」として聴き、楽しむ感性を持っています。
平安時代には、貴族が虫の声を鑑賞する「虫聞き」が行なわれ、和歌にも詠まれました。
ある研究によると、虫の音や自然の音を耳にすると、私たちはそれを言語を司る左脳で聴くとされます。聞こえてくる虫の音に感性的・情緒的な意味を見出して処理するのです。
一方、日本語を話さない人々にとって、虫の音は特別な意味を持ちません。そのため、「声」ではなく単なる雑音として聞こえるといいます。
街中では、人工の騒音に虫の音がかき消されるかもしれません。しかし時には、道端の草むらに響く虫の声に耳を澄ませ、秋を感じてみてはいかがでしょう。
今日の心がけ◆虫の声に耳を澄ませてみましょう
出典:職場の教養9月号
感想
この文章を読んで、秋を感じるということは、気温や景色の変化を見るだけではなく、身近な音に気づくことでもあるのだと感じました。
鈴虫やコオロギの音を、単なる音ではなく「声」として味わってきた日本人の感性には、自然を自分たちとは別のものとして見るのではなく、そこに何かを感じ取ろうとする姿勢が表れているように思います。
平安時代の「虫聞き」から俳句や和歌へと受け継がれてきたことを考えると、何百年も前の人と同じ音を通して季節を感じられることにも、不思議なつながりを覚えます。
仕事や生活に追われていると、目に入るもの、耳に入るものの多くを必要か不要かで判断してしまいがちです。
虫の声も、意識しなければ聞き流してしまうでしょう。
そんな小さな変化に気づける心の余裕は、人との関係にも通じるのではないでしょうか。
相手の表情や何気ない言葉に気づくことも、まずは立ち止まって受け取ることから始まります。
虫の声に耳を澄ませる時間は、季節を楽しむだけでなく、自分の感覚を少し取り戻す時間にもなるのだと感じました。
否定的な感想
この文章で気になったのは、「日本語を話さない人々にとって、虫の音は特別な意味を持たず、雑音として聞こえる」という説明です。
文化によって自然音の受け止め方に違いがあることは考えられますが、日本語を話すかどうかだけで、人が虫の音を情緒的に感じるか、雑音として感じるかを明確に分けるのは少し単純化されているように感じました。
自然を愛好する文化は世界各地にありますし、個人の経験や育った環境によっても虫の音への感じ方は変わるでしょう。
また、「虫の音を左脳で聴く」という研究についても、研究者や実験方法などが示されていないため、この文章だけではどこまで一般化できる話なのか判断しにくいところがあります。
脳の働きを「左脳は言語、右脳はそれ以外」と単純に整理すると、科学的な説明として誤解を招く可能性もありそうです。
日本人が虫の声を楽しんできた歴史は、それだけでも十分に興味深い題材です。
脳の違いを強調するより、俳句や「虫聞き」など文化として育まれてきた感性を掘り下げたほうが、秋の虫に耳を澄ませるという結びにも自然につながったように感じました。
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