2026年4月7日(火) 新人への接し方

新人への接し方

社会人七年目のAさんの部署に、新入社員が配属されました。Aさんは部長から教育係を頼まれ、手取り足取りで指導に当たりました。

しかし、思うような効果が得られず、次第に厳しい口調で後輩に接するようになってしまいました。ある時、部長と出張する機会があり、思わず後輩に対しての愚痴を部長にこぼしました。

すると部長は「君も新人の頃は同じようなものだったよ。経験や知識も増えて、自分と同じステージで新人たちを見ていないかな」と言ったのです。

Aさんはハッとさせられました。新人の頃を思いだすと、顔から火が出るくらい恥ずかしい失敗も経験しましたが、先輩たちが庇ってくれていました。

Aさんは、自分の失敗を棚に上げ、教育にあたっていたことが恥ずかしくなりました。当時の自身と後輩を照らし合わせると、十二分に頑張っているのです。

過去の失敗や教訓があってこそ私たちは成長できたはずですが、時間が経つにつれてそれを忘れてしまいがちです。時には自分の過去を振り返りたいものです。

今日の心がけ◆過去の失敗や教訓を活かしましょう

出典:職場の教養4月号

感想

このお話を読んで、自分の成長と引き換えに、かつての自分を「なかったこと」にしてしまう人間の脆さと傲慢さを、鏡で見せられたような感覚になりました。

社会人7年目という、仕事に自信がつき始め、全体が見えるようになったAさんの立場は、非常にリアルです。

教育係として情熱を注いでいたはずが、いつの間にか「なぜこれができないのか」という、自分の現在地を基準にした加点法ではなく、理想からの減点法で後輩を見てしまっていたんですよね。

部長の言葉は、単なる励まし以上に、Aさんが忘れていた「自分の不完全さ」を優しく突きつける、非常に重みのあるものだと感じました。

新人の頃の失敗を「顔から火が出るほど恥ずかしい」と思い出せるのは、彼がそれだけ遠くへ歩いてきた証拠でもありますが、同時にその痛みを忘れてしまったことが、後輩への厳しさの正体だったのではないでしょうか。

私たちは経験を積むほど、自分が通ってきたデコボコ道を、後から舗装された綺麗な直線道路だったかのように錯覚してしまいがちです。

でも、本来の教育とは、自分がかつて転んだ石ころの場所を教え、一緒に痛みを分かち合うことなのかもしれません。

この物語を通じて、過去の自分を「情けない存在」として切り捨てるのではなく、今の自分を支える大切な土台として抱きしめ直すことの大切さを教えられた気がします。

否定的な感想

このお語の展開には、どこか組織としての「美談化」による危うさも感じてしまいました。

部長の指摘によってAさんが自省し、丸く収まる形にはなっていますが、現場で実際に教育を任されている人間の負担や焦燥感が、少し軽視されているような印象も受けます。

7年目という中堅の立場は、自分の数字も追いながら新人を育てるという、非常に精神的な負荷がかかる時期です。

Aさんが「厳しい口調」になってしまった背景には、単なる傲慢さだけでなく、余裕のない現場の空気や、責任感の裏返しもあったのではないでしょうか。

部長の「君も同じだった」というアドバイスは確かに正論ですが、具体的にどう指導を改善すべきかという実務的なフォローにまでは踏み込んでいません。

精神論だけで「自分も昔はできなかった」と思い返すだけでは、実際の業務スピードや質の向上には繋がらない現実もあります。

後輩側も、ただ優しく見守られるだけで本当に成長できるのか、という懸念も残ります。

失敗を棚に上げていたことを反省するのは尊いことですが、それが行き過ぎて「自分がダメだったから、後輩に厳しく言う資格はない」と萎縮してしまっては、教育としての厳格さが失われてしまいます。

過去の自分を投影しすぎて、今の後輩が持っている個別の問題点や、改善すべき具体的なポイントから目が逸れてしまうリスクも、この教訓の裏側には隠れているように思えてなりません。

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