2026年6月3日(水) 適切な備えとは

適切な備えとは

これから、夕立などの急な雨に降られることが多い季節になります。〈雨具を持ってくればよかった〉と後悔した経験のある人も多いでしょう。

突然の出来事への備えは、必要だと分かっていても、時が経つと意識が緩みがちです。

Aさんは、東日本大震災以降、非常時への備えを欠かしませんでした。当初は、薄手のシートや飲料水、携帯ラジオなど、過剰と思えるほど持ち歩いていました。

しかし、備えが必要となるような「非常時」が訪れることはなく、月日が経つにつれて、持ち歩く物の数や機会も次第に減っていきました。

そんな中、二〇一八年九月、北海道へ出張に行くことになりました。「備え」を持参するか迷いましたが、持っていくことはありませんでした。

そして現地で、大規模な地震に伴う全域停電、いわゆるブラックアウトに見舞われたのです。備えは、特別な決意のもとで行なうというより、日常の中で習慣にできるかどうかが重要です。

常に重い荷物を持ち歩くことが、必ずしも適切とは限りません。自分にとって無理のない備えとは何か、あらためて考えてみたいものです。

今日の心がけ◆万一を意識し備えを習慣にしましょう

出典:職場の教養6月号

感想

当たり前の日常がどれほど脆いものか、そしてそこに潜む「慣れ」の怖さを改めて突きつけられるようなお話だと感じました。

震災を経験したAさんが、最初は過剰なほどに備えていたのに、何も起きない平和な日々に安心する中で少しずつ荷物を減らしてしまった気持ちは、痛いほどよく分かります。

人間、どうしても目の前の平穏がずっと続くと思ってしまいますし、重い荷物を毎日持ち歩くストレスに負けてしまうのは、ある意味でとても人間らしい変化だと思います。

だからこそ、北海道でのブラックアウトというタイミングで「その時」が来てしまった現実には、運命の皮肉のようなものを感じずにはいられませんでした。

このエピソードが教えてくれるのは、備えの本質は「完璧な装備を誇ること」ではなく、「無理なく続けられる自分なりの仕組みを作ること」なのだろうなということです。

例えば、普段のバッグに小さなLEDライトを一つ忍ばせておくだけでも、あるいはスマホの予備バッテリーを常に満タンにしておくだけでも、いざという時の安心感は全く違います。

気負いすぎて長続きしないよりも、生活の一部として溶け込ませる工夫こそが、本当の意味で自分を救う「適切な備え」になるのではないかと深く考えさせられました。

否定的な感想

このお話を少し冷めた視点から捉えてみると、Aさんの危機管理に対する見通しの甘さや、経験の活かし方に対して、どうしても疑問やもどかしさを感じてしまう部分もあります。

東日本大震災という、人生観が変わるほどの大災害を身をもって経験していながら、出張という見知らぬ土地へ赴く際にすべての備えを置いていってしまったのは、少し不用意だったのではないかという印象を拭えません。

「何も起きない日常」に流されて意識が緩んでしまうのは理解できますが、それは自宅の周りなど、ある程度融通が利く環境だから許されることだと思うのです。

慣れない土地、しかも出張という仕事の場で、万が一の事態が起きたらどうなるかという想像力が、少し欠けてしまっていたのかもしれません。

また、結局のところ大地震に遭遇して初めて自分の油断に気づくという展開も、手痛い失敗をしないと学べない人間の弱さを表しているようで、どこかやるせなさを感じます。

結果論かもしれませんが、せっかくの震災の教訓が、時間の経過とともにただの「重い荷物」として片付けられてしまっていた時期があったことは、防災意識の持続がいかに難しいかを示すと同時に、個人の意識改革だけに頼る備えの限界を感じる部分でもありました。

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